郷土芸能文化:ホーランエンヤ五大地連合保存会 | 代表: 角田 一雄 |
会員数: 17名 |
紹介
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“ホーランエンヤ”の名で親しまれている「城山稲荷神社式年神幸祭」。松江松平藩の初代藩主、松平直政公が出雲に入国して10年目に国内が大凶作の危機にみまわれ、城山稲荷神社の御神霊を阿太加夜(あだかや)神社にお運びし、五穀豊穣などを祈ったのが始まりです。 ホーランエンヤは日本三大船神事の一つとも言われ、五地区から繰り出す櫂伝馬船(かいてんません)を先頭に、神楽船・神輿船・供船などの船行列が延々と1kmにわたって宍道湖、大橋川、中海を彩ります。歌舞伎風の衣装で着飾った踊り子や櫂漕ぎの若い衆が唄い踊る櫂伝馬船はこの祭り最大の呼び物で、色とりどりの旗、幟をなびかせ、豪華な時代絵巻となって見る人々を魅了します。 |
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豆知識
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松江市指定文化財「櫂伝馬踊り」 「剣櫂踊り」 船の舳先で、歌舞伎衣装(紋服もある)の若者が、「ホーランエンヤ」の漕ぎ音頭に合わせ、木製の剣櫂を持って勇壮に踊る。 「采振り」 女装で、船の艫の樽の上で、身体をくねらせて踊る。昔の曲相撲の名残との説もある。 「櫂伝馬船」 甲板の無い和船で、中央に擬宝珠柱を立て、飾りつけ、14〜16本の櫂で、ホーランエンヤの音頭で操船する。 活動場所:いの一会館他 |
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連絡先
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廣江耕史 松江市八幡町735-1 TEL 090-2539-8915 |
郷土芸能文化:八重垣神社身隠し神事 | 代表:佐草 敏邦 | 会員数:27名 |
紹介
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身隠し神事とは、オロチの難を避けるため、5月3日に稲田姫命が奥の院佐久佐女の森の大杉に隠れ、12月15日に本殿に還御される神幸神事です。 | |
豆知識
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八重垣神社は、出雲に天下ったスサノオがイナタヒメとの新居をここに設けたという伝説の宮です。奥の院、佐久佐女の森には、鏡の池や夫婦杉があり、閑静な森に観光客の姿が散見される伝説の地です。 | |
連絡先
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代表:佐草敏邦 松江市佐草町277 TEL21−1148 |
郷土芸能文化:松江市鼕行列保存会 | 代表:石原 幸雄 |
紹介 |
◆松江祭鼕行列とは |
豆知識 |
◆鼕行列の歴史 松江の鼕行列の歴史は、平安時代京都で行われていた「左義長」(さぎちょう)という正月行事がもともとで、それが地方地方に伝わり出雲(松江)地方に正月の歳神行事「とんど行事」として行われていました。 慶長12年(1607年)堀尾吉晴公により松江は開府されてから、城下の町方で正月、歳神様を祭る「とんど行事」に合わせて「どう」と呼ぶ太鼓を打ち鳴らし笛・チャンガラで囃したてていたようです。 松平初代直政公が入府してからは、正月十四日・十五日に、武家の馬備えの行事に合わせて、盛大に行われていた。 松平七代藩主不昧公時代につくられた、歳徳神の宮(神輿・みこし)が、伝わり保存され正月のとんど行事に合わせて、町方では歳徳神の宮をまつる、組み立て式宮宿が建てられ、祝謡「若松」を謡い宮練り、鼕・笛・チャンガラで囃し立て、盛大に祭りが行われていた。 明治時代になり、2月11日の紀元節・11月3日の天長節と、慶祝の日に合わせて宮・鼕を出して祝っていた。 大正4年(1915年)大正天皇の御大典のおり、各町が鼕の大きさを競い合って造り、また鉄の車輪をつけた屋根付き屋台を造り、数十町内が行列をして祭りをしたのが、今日の行列の始まりです。 昭和となり11月3日に松江の開府を祝う「松江祭」として行われ、平成18年より10月の第3日曜日に開催することになりました。松江の町々には、数多くの歳徳神の宮、大宮・中宮・小宮(亥の子宮・いのこみや)が、伝わり保存されています。 鼕行列の歴史については、松江市鼕行列保存会発刊「松江の鼕」(1000円)に載っています。 保存会事務局・松江観光協会(0852-27-5843)へお問い合わせください。 |
連絡先 |
石原幸雄 松江市北堀町215 石原建築設計事務所 荒布屋 TEL22−0511 |
郷土芸能文化:関乃五本松節保存会 | 代表:鷦鷯 順 | 会員数: 146名 |
紹介 |
えびす様を祀る美保神社が鎮座する美保関は、かつて山陰第一の要港をして古代より栄えてきた。江戸時代になり北前船の往来により、一層の繁栄をみせ、参詣人、旅人、船頭相手の紅灯弦歌で大いに賑わった。この美保関の花街で酒席の騒ぎ唄として謡われたのが「関乃五本松節」である。 長い航路を経て美保関に入港する船人達は、海上に島根半島の影が現れると、小高い山に聳え立つ五本の黒松を目当てにしたという。しかし、今から数百年前の江戸時代、松江藩主が美保関へ通じる松江街道を通行の折、道が狭いのと眺望の妨げになるとの理由から、街道にかかって生える五本の松のうち一本を藩主の為にと家来が勝手に伐ってしまった。船人達は表立った抗議もならず、そのやり場のない気持ちが歌詞となり、そこはかとなく歌われるようになったのが「関乃五本松節」である。 |
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活動 |
(定期練習会)毎月10日、20日 20:00〜22:00 (優勝大会)毎年10月第2月曜日 (美保神社奉納唄い初め式)毎年1月11日 |
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連絡先 |
西垣 TEL 0852-73-9001 |
伝統芸能文化:亀尾神能保存会 | 代表:井上 春雄 | 会員数:15名 |
紹介
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国指定無形文化財「佐陀神能」の流れを汲む神楽で、持田神社の氏子に伝えられたものを有志が受け継いでいます。佐陀神能は県下の神楽に大きな影響を与えた神楽ですが、能楽式で難しく、石見神楽のような派手さはありません。 | |
活動
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各神社での奉納神楽 七座神事 式三番(祝祭礼の場合) 神能 |
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連絡先
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代表.井上春雄 松江市西持田町890−6 TEL080-1902-4099 |
伝統芸能文化:平濱八幡宮トーレトーレ御神事 | 代表:青木 義興 | 会員数:10名 |
紹介
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松江では珍しい子供の獅子行列。重臣武内宿祢命の祭りは8月31日(武内神社祭)。山陰屈指の夏祭りで早朝から深夜まで賑わい、9月1日午前4時、古例渡御式(これいとぎょしき)で終わります。以後接待の準備を整え、9月15日午後4時、御旅所で平濱八幡宮の三基の御神輿(おみこし)の神幸を迎えられます。 |
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活動
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トーレトーレ:通れ通れ 9月15日例大祭当日、神域に立ち入る人を獅子頭で清め、通行許可を与えた神事の名残です。9月11日獅子小屋祭りを行い神幸コースを清め、例祭当日にも神域を清めます。神幸式には行列に加わります。 |
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連絡先
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代表.青木義興 松江市八幡町303 TEL37−0435 |
伝統芸能文化:魚瀬左吉兆とんど行事 | 代表:村松 繁 | 会員数:60名 |
紹介
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伝承されている数少ないとんど。大きな真竹の神木を掘る『竹迎え』、『鯛造り』や、巨大な『神木』を海岸に建て、舟形みこしに恵比寿・大黒を乗せ、家々を祝って周る『宮練り』(はやし前日)、夜明けに行なう『とんど焼き』など。2組あり。 | |
活動
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鯛造り :1月3日。3mの張子、 扇その他の飾りも作成。 とんど建て :1月 第2日曜日 とんどはやし:1月 第2月曜日 |
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連絡先
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代表.村松繁 松江市魚瀬町1192 TEL88−2747 |
伝統芸能文化:佐陀神能保存会 | 代表:石橋 淳一 | 会員数:16名 |
紹介
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佐陀神能は島根県松江市鎮座の佐太神社御座替祭に演舞する七座神事・式三番・神能から成る神事舞の総称。慶長年間に現在の形式に整えられたとされ、各地の里神楽に影響を与えた。 |
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沿革
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昭和36年6月に島根県無形民俗文化財に指定 昭和51年5月 国の重要無形民俗文化財に指定 平成23年11月 ユネスコ無形文化遺産リストに登録 |
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連絡先
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事務局 0852-82-0668(佐太神社社務所内) メール:info@sadajinjya.jp URL:http://sadajinjya.jp/(佐太神社ホームページ) |
郷土研究:松江藩の文化を愛する会 | 代表:本間順一 | 会員数:20名 |
紹介
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松江の歴史文化を愛し、継承していく目的で始めた会で、最初はメッセなどで松江藩に伝わる美術工芸品の展示や所縁の講演活動を行って来ましたが、近年はその主たる活動を傘下にある「松江城鉄炮隊」で行っています。 |
活動
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@市民文化祭参加 A展示会 B市内中心に定例演武 |
連絡先
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事務局.本間恵美子 松江市苧町1−36 TEL090-5264-3407 |
郷土研究:むらくも笛友会 | 代表:内藤 康夫 | 会員数:15名 |
紹介
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昭和55年7月に発足し、旧松江・八束地方に伝わるお神楽(どう、太鼓、笛、手拍子によるお囃子)の中で、特に笛の音色を伝承していこうと結成された会であります。 |
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活動
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練習は毎年、初めは佐太神社で行ない、次回からは松江市内及び八束郡内の神社で計数回行っています。 | |
連絡先
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事務局次長.石橋淳一 TEL 090-9410-0096 |
郷土研究:東出雲の歴史・史跡を探索する会(通称 は・ひ・ふの会) | 会長:樫原孝尚 | 会員数:15名 |
紹介
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町内の歴史人物、史跡を研究し、東出雲の新たな発見をすることを目的としています。 |
活動
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史跡・仏閣など視察 (令和4年度 出雲文化伝承館、令和5年度 鳥取県金持神社と近隣の神社仏閣、 令和6年度 出雲大社 北島国造館) ボランティアガイドの派遣 ガイドマップの作製(東出雲公民館にて) |
連絡先
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樫原孝尚 松江市東出雲町揖屋2512-4 TEL 52-5864 |
郷土研究:いづもナンキン振興会 | 代表:福井昭夫 | 会員数:43名 |
紹介
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時は寛永(1750)頃、出雲藩では城下町において金魚の飼育が盛んとなり、逐年品種の改良と選別交配により他国に見られない郷土特産の優れた「いづもナンキン」を作り出したといわれています。当時の松江藩主松平不昧公も、お茶を嗜みながら「いづもナンキン」の優美さに惹かれ、下級武士にこの金魚の飼育を奨励したと伝えられています。第二次大戦によってこの「いづもナンキン」も絶滅寸前となっており、それを危惧した松江市在住の太田億一氏の呼びかけにより昭和二十五年に「いづのナンキンを守る会」を結成し創立総会が開催されました。その後、昭和五十七年に当会に対して県の天然記念物の認定を認可されたのを機に、現在の「いづもナンキン振興会」と改名しました。以降、毎年秋には品評会を開催して品種向上に勤めています |
豆知識
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金魚学の権威家松井桂一博士が、昭和四年九月島根県庁の依頼を受け、宍道湖水産会に対し養鰻について講演されたとき、役員として出席されていた宍道の漁業組合長佐藤寛市氏から、初めて「ナンキン」の話を聞き、見学し感動され、昭和十年「科学と趣味金魚の研究」の本を出版されることにより「ナンキン」が初めて国内に紹介されました。時は流れ昭和五十七年、当県で国体開催された折、県水産課の依頼を受け天皇陛下の行幸に係る農林水産物展示会が開催され、そこで写真提供と供に「いづもナンキン」を展示し、陛下の天覧の光栄を賜りました。 |
連絡先
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事務局 090-2806-5811(福井昭夫) メール afukui@mable.ne.jp ホームページ いづもナンキン振興会 |
郷土研究:雲藩 直信流柔道研究会 | 代表:川上 和夫 | 会員数:16名 |
紹介
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直信流柔道は松江藩の古武道であり、堀尾忠晴公が松江城に入城した時に京都の宮津から仕官した寺田勘右衛門が、鎧・兜の格闘術として始め、江戸中期に各流派を吸収して直信流柔道と改称した。 |
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連絡先
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郷土研究:国際伝統武術連盟大和会 | 代表: | 会員数: 名 |
紹介
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豆知識
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連絡先
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